カラオケに誘わない人間でありたい

私は音楽が好きでスポーツが嫌いなのだけれど、一般論を述べる時にはなるべく同じようにして語りたいなと思っている。立ち位置が似ているような気がするので。

まず学生時代のいわゆる副教科(体育、家庭科、技術、美術、音楽……)に共通することとして、好きな人は好き、嫌いな人は嫌い、とはっきり分かれたり、それなりにセンスが問われたりするという特徴がある。

その中でも体育と音楽は一般人気が段違いである。
体育と言えば「体育会系」「運動部」という一大ジャンルをなしていて、教科ひとつにはおさまらない人気を誇っている。「スポーツ」の中で細分化されすぎているから、たとえば全員がワールドカップを見ているという想定はされないことも多いが、それでも「知っていて当然だろう」という空気。
音楽は、部活動の数では体育に及ばないだろうが、お茶の間人気が圧倒的だ。音楽番組。サブスクリプション。 飲み会の後はカラオケ。「どんな音楽聴くの?」という、音楽を聴くことを前提とした質問。「どんなスポーツするの?」よりも頻度が高いかもしれない。社会に生きる民にとって、音楽は日常でスポーツは非日常だ。
それに比べると、「好きな画家は誰?」と聞かれたことはない。「フェルメール展行った?」と聞かれたこともない。美術は教養で、音楽とスポーツはいまや大衆文化だ。
このあたりの文化がそれぞれどういう立ち位置にあるかという話をしたいのではなく、ただ、自分が混同しないようにしたいと戒めたい。
勝手にスポーツに連れていかれたら絶対に嫌だ。そんな同調圧力があったら、そのコミュニティを辞めてしまうと思う。
私は好きだけれど、音楽についてもそうでありたい。
カラオケに、安易に誘わない人間でありたい。

 

 

 


なぜこんな話をしているかというと、駅伝云々の季節であるからだ。
街ぐるみで、何の関係もない人々の交通手段を制限してまで、音楽をすることがあるだろうか。
音楽の催しのために、家の目の前の通りを渡れず生活にこまる人がいただろうか。
声を大にしてこのことを主張するために、私は安易にカラオケに誘わない人間でありたい。