「可哀想」ってなんだろう?

なんか倫理系の話だと思った人ごめんなさい。日本語の話です。

 

先日、「〜で可哀想。」という文を体言止めだと称しているツイートを見た。それにリプライするとあまりにもクソリプだろうからここにひっそりと書こう。「可哀想」ってなんだろう?
主語にならないから体言ではない。というわけで、形容動詞「可哀想だ」の語幹とみるのが妥当でしょう。

 

ここで「〜だなんて、可哀想に。」という言い方があるわけだが、これは一体どういう用法?連用形の言い切りだろうか。
しかし同じく形容動詞の「綺麗だ」は、「〜だなんて、綺麗に。」とは言わないよね。連用形で止める用法は、あるとしても形容動詞に共通した用法ではないようだ。
でも「かわいそうに(≒かわいそうなことに)、〜は…した。」という言い方はある。その略と思えば、ただの連用形なのかしらん。教えて、有識者

 

ここでさらに、もうひとつの違和感。そもそも「かわいそうに、〜は…した。」という言い方自体、皆さん使います?
辞書では出てきたのだけど、私自身は使わない。
「〜が…したのを私は可哀想だと思った。」というのが妥当であって、極端に主観的な「可哀想に」を副詞的に使うことに違和感があるのだ。

では、ほかの主観的な形容動詞と比べてみよう。例えば「幸せだ」。
「〜云々、2人は幸せに暮らしました。」は自然である。
しかしながら、「幸せに(幸せなことに、の意味で)、〜は…した。」は聞かない。
それから「幸せに」の場合は主文の主語が「幸せ」と感じているのに対し、「可哀想に」ではやはり急に「話し手」が出てきて可哀想と感じ始める。この辺り、やはり唐突である。

 

あー、1人じゃ全然解決しない!助けて、有識者