日本語の好きなところ

皆さん、日本語って使っていますか?
日本語って良いですよね。今日は日本語の好きなところを2点ご紹介していきます。

 

 

1. 表意文字である

日本語のなかでも特に漢字は、表意文字なのです。

世界の文字は、表音文字表意文字に大別できます。

表音文字とは、「音を表す文字」のことです。アルファベットがわかりやすい例でしょう。catという言葉は、"c"の音、"a"の音、"t"の音から成っており、例外はありますが、それぞれの文字はそれぞれの音を表しています。

日本語の中でも、ひらがなやカタカナは表音文字にあたります。

対して漢字は表意文字、「意味を表す文字」です。「漢」「字」「日」「本」「語」それぞれの漢字、一文字一文字が意味を持っています。

この表意文字が使われている点、さらに言えば表意文字表音文字が組み合わされて使われている点が、非常に気に入っています。

 

ですから最近非常にナンセンスだなと思うのは、常用漢字外の字(表外漢字)をひらいて書く習慣です。もちろんその漢字を知らない人に配慮することは必要ですが、読み仮名をふるだけで十分だと思うのです。

例えば「醤油」という言葉。これの読み方がわからない人がいるならば、上に「しょうゆ」とルビを振っておけば、その人はあとから検索することができます。

そしてここが一番大切ですが、「醤油」が読めなくても、ある程度の内容は推測できます。例えば「醤」の字の下半分は「酒」の右側です。お酒に関係があるのかなとか、発酵系の液体なのかなとか、そういう想像を巡らすことが可能です。もちろん間違っていることもあるでしょうが、なんとなく「料理に使える液体かもしれない」というところまで辿り着く人もいるかもしれません。また上半分の「将」をみれば、「これが形声文字なら音読みはショウだな」と推測できる人もいるでしょう。

対して、「しょう油」ではどうでしょうか。読み方はわかります。そして、読み方以外は何もわかりません。「生油」「商油」「小油」......いくらでも可能性があり、意味の可能性も同じだけ考えられます。読み手により多くの情報を伝えられるのは、果たして「醤油」「しょう油」のどちらでしょうか。

 

加えて、散見される「漢字廃止論」も個人的には反対です。

もちろん漢字学習をしているときに「漢字なんてなくなってしまえ~」と思ったことはあります、外国人学習者の方はなおさらでしょう。しかしながら、ただでさえ音素が少なく同音異義語の多い日本語において、漢字を廃止するなど以ての外です。

 

2. 造語が作りやすい

「造語の作りやすさ」もまた日本語の長所であり、日本という国の発展に寄与してきたと考えています。

造語の作りやすさというのは、新しい概念の導入しやすさといえます。

たとえば「頭蓋骨」という言葉を見てみましょう。これは「頭蓋」と「骨」から成っています。表意文字であるので、頭蓋骨という言葉を知らない人でも「頭の蓋をしている骨」かしら、と分かるのは先に述べた通りで、加えて慣れた日本語話者なら大体の読み方も想像がつくでしょう。自分の専門分野以外の用語についても、なんとなくこういうことかなと推測することができるのです。

はたまた、これを英語では"skull"といいます。頭も蓋も骨も関係のない、新しい1単語になるのです。もちろん語源をたどればどこかに頭や蓋や骨の要素があるかもしれませんが、これらの言葉を使う人が一見して分かるものではありません。

頭蓋骨の例だけかと思われる人もいるかもしれません。私も量的な比較をしたわけではありません。が、ご自分の分野の専門用語を日本語と英語で学習されたことのある方なら、ある程度理解していただける部分もあるのではないでしょうか。

そして私は、これこそが良くも悪くも日本を支えてきたと思うのです。

たとえば、公用語が英語ではない人々が、自国で、英語で教育を受けるケースは珍しくありません。フィリピンやシンガポールでは、「英語の授業」ではなく「英語で授業」が日常的に行われています。このことがその国々の言語と関連していると今ここで証明することは困難ですが、少なくとも日本はそれをしなくても高い教育水準を保てた、というのは事実でしょう。数多ある専門分野について適切な言葉を作り、使用し、自国の言葉で教育と研究を発展させることができました。

 

一方で、もちろんこれらはデメリットでもあります。英語で専門教育を受けてきた場合、海外で活躍することもより容易いでしょうし、海外の優秀な学生を大学で受け入れることも然りでしょう。

そして日本については、国際化する社会の中での伸び悩み、英語教育の遅れなどを見れば明らかです。日本語で書かれた素晴らしい論文たちのなんともったいないことでしょうか。

しかしながら、もちろん感情論に過ぎませんが、よりたくさんの人に裾野を広げて教育を行えるこの日本語を私自身は愛してやみません。