宗教を作ろう① 概要を考えよう

宗教を作ろう。

長年の夢を叶えるのだ。

宗教を作りたい

正確には、教祖になりたい。つまり信者を作りたい。名前は何でも良いが、実質的に宗教みたいなものを作りたい。宗教法人かどうかとかは至極どうでもいい。教祖になるのが、中学の時からの夢なのだ。

ということで、この際神の存在や超科学的なことの有無は問わない。誰か、私の思想に付いて来てくれる人がいればいいのだ。まあイメージとしては、自己啓発セミナー的なものになるだろう。別に自己啓発セミナーが宗教だと言っているわけではないぞ。

教義を作ろう

多分なにか核となる概念が必要だろう。ここで私は「メタ」をテーマに掲げる。

現代においてインチキせずに信者を集めるには、それなりに実生活に役立つことと、科学にも基づいていることとが必要になろう。別に科学が宗教だと言っているわけではないぞ。みんなの生活の困りごとを現代知識で解決しようということだ。抽象的な悩みを解決する方法というのは得てして複数あって、どれを重視するかの問題である。たとえば職場の人間関係で悩んでいるとしたら、「自分の心を第一に考えて、仕事をやめてしまおう」とか「全てポジティブに受け止めよう」とか「他人に優しくしよう」とか「これは神様の与えた試練だ」とか如何様にも捉え、解決(しようと)できるものであって、その人がどの側面を気に入り選択するか、もしくはどの側面を選択した人を信ずるかの問題に結局は帰着するだろう。

私が選ぶ側面が「メタ」だということだ。これは以前に街で宗教の勧誘の方々を見かけ、もしも話しかけられたらどんな自分なりの宗教で言い返そうかと思いを巡らせていたときに考えついたものである。

よく考えるとこちら、なかなかよくできている。メタ認知、という言葉自体は意識の高い人々の間でそこそこ人口に膾炙しており、しかし直接的、爆発的利益をもたらすというたぐいのものでもない。それでいてなかなか自己啓発的な面もあるし、メタバースメタマテリアルなどなど、メタという言葉のくっついた科学用語を繋げて語ればそれっぽくなりそうだ。形而上学、と言い換えれば、さらに「こういうの好きな人多いでしょ」である。

既存の宗教と差をつけよう

「新規性」というのは商品開発においても、アカデミックな研究においても大切であろう。私のメタ教(名前は後々考える。このままだと元Facebookの信奉者のようだからである)にも新規性を付与して進ぜよう。

メタとは「上の、高次の」という意味であり、メタ認知とは高次の目線から自分を見ること、要するに客観的に見ることだと解釈して概ね間違いないだろう。細かい内容・拘りは次回以降に譲るとして、宗教という体でメタをみると、かねてより「神」がメタだったとされる。かのデカルトも、有限たる我々の上位存在として無限たる神があるとして神の存在証明をした(どうせみんなこういうのも好きでしょ)。しかし実際、有限ではあれど、ここ数百年我々人類は「メタ認知」をしたがっている。いまこそ、我々が神になるべきではないかーーーというのは言い過ぎだけれど、我々は自分自身の上位存在、観察者になる時が来たのではないか。

 

続く