ハルヒと主体とホームズと

※この記事では、いくつかのミステリの登場人物について触れているほか、あさーい知識で書いている部分が多々あります。

 

王道ミステリの探偵というのはどうにも変な人が多い。そして往々にして、それに振り回される常識人ワトソンの視点で物語が進んでいく。私はこの構造が大好きなのである。

やはり並外れて頭がいい人というのは多少変な人であってほしいと思っているので、ホームズなり御手洗潔なり、島田潔に火村英生、常識のない探偵とそれにやきもきする助手という構図は大いに魅力的だ。そもそも変わった事件に頻繁に巡り合うためには、ホームズのように事件のほうが向こうから舞い込んでくるようなブランディングのある私立探偵でない限り、ある程度奇人変人でなければならないというお話の都合もあるだろうが。

森博嗣によるS&Mシリーズは少しだけ違う構造であり、いわゆる探偵、最終的に謎を解くのは犀川創平であるが、余計なことに首を突っ込んでいくのは西之園萌絵のほうである。犀川氏も変わった人物ではあるが、助手の方が探偵を振り回すという面白い設定である。ワトソンや石岡といった明らかな定点常識人の目線で書かれたものではないが、犀川氏の独白も多く、萌絵に振り回される様子を堪能できるシリーズである。

犀川氏は一風変わっているとしても、ワトソンに石岡にアリスは皆奇人探偵に付き合っているという点で常識のある変な人であることは間違いないだろうから、結局その「意見はあるけれど主体性のない主人公」が「行動的すぎる変人」につきあわされ、振り回され、やれやれと言いながら結局満足している様子が読者のそういった欲求をうまく昇華しているのだろう。

ここで思い出されるのがかの名作『涼宮ハルヒ』シリーズである。

ハルヒといえば言わずと知れた有名ラノベ/アニメであり、平凡な主人公キョンが突飛すぎる多才な美少女涼宮ハルヒに振り回される学園生活を原則キョンの視点から描いている。「意見はあるけれど主体性のない主人公」が「行動的すぎる変人」につきあわされ、振り回され、やれやれと言いながら結局満足している話そのものである。

世の多くのオタクたちがハルヒに熱狂し、そんな酔狂な人と実際にはやっていけないだろうと思いつつもどこかでその面影を追い続けているのは、同じ構造だろうと思う。主体であり続けるのは面倒くさいし、意思決定はつらいし、だけれど自分を気に入った悪くはないけど変わった人がその人の責任において面白いことをどんどん持ち込んでくれないかな......と思っている。指示を受けたものならもう喜んでやれやれと言って従うことだろう。

細かい類似点は色々あると思うのだが、とりあえず私はここに主体性を持ちたくない人類たちのユートピアを見るのである。

これはおそらく多くのギャルゲー・乙女ゲーに見られるもので、最近では飽くまでバリエーションとして主人公の色が濃いものがあれど、基本的には多彩な個性の攻略対象と比較して主人公自身はあまりにも無個性である。ギャルゲーはだいたい勉強運動顔面性格家柄エトセトラ全てのステータスが50点の男子生徒が一人称であり、そこに情報通とかオタクとかときにはイケメンとか一つだけ特徴の追加された親友くんが登場しうる。乙女ゲーでは主人公はもう少し50点から逸脱しているものの作品を跨いでかなり画一的で、心優しく前向きでお人好し、少し賢くすぐに感動しすぐに順応する純粋な頑張りやさんが一人称となる。全ての乙女ゲーの主人公は共通ではないかと思うほどである。

これは単にプレイヤーが主人公を操作するからという理由で起きているものではなく、先述の奇人探偵ミステリと同じ構造であって、コミックスでも見られることだろう。少女漫画の中でも恋愛モノにおいては一つくらいの(時にネガティブな)特徴をもつほかは心優しく前向きで云々な女の子が主人公でありうるだろう。ジャンル名で言えば、夢小説はそもそも主体性を滅する前提であるからよしとして、歴史的には作品の中であっても女性の方がそういった主体の抑圧をされてきたであろうし、ヘテロの恋愛ものにおけるヒロインの没個性ぶりは数多議論されているとおりである。その点GLはちょっとややこしそうなので置いておくとして、同人でも商業でもBLにおいては双方の主体性がしっかり残っていることが多いかもしれない。主体性というと語弊があるかもしれないが、受動的/能動的態度の話ではなく、個として、主体として存在できている人が2人いて、その間で関係性が築かれていくといえるだろう。この点において、主体性を抹消された諸々のコンテンツが性に合わないという女性たちがBLに流れていくのは真っ当とも言えるだろう。

というわけで、御手洗潔があまりにもハルヒすぎたためにこの記事は書かれました。ハルヒ続編待ってます。

旧帝医学部にギリギリ届く「地方出身」が今思う、地域格差のこと

こちらの記事で書いた通り、私は所謂地方の中核都市(の中では田舎の方)で高校生までを過ごし、そこそこ都会の大学に行っています。

 

kotoba-chz.hatenablog.com

地域格差が叫ばれる中、典型的な「地方」と「都市部」の中間を経験した者として、何となく思うことを書いてみます。
いくつか前提です。
まずは、あくまで地方の中核都市の話であるということ。規模で言えば、私立より公立の学校が賢く、進学校は無いが自称進学校はあるような、そんな地域の話です。もっと人口規模の小さい地域、もっと選択肢の少ない地域があるということは重々承知していますし、その上でこの発信を意味あるものにしたいと思っています。
それから、地元は好きだということ。今はもう離れていますが、そこで生まれ育って今に至ったことで得られたものが沢山あるし、誇りに思います。愚痴が沢山書いてあるように見えますが、同じ境遇の人が沢山いることも知っているし、自分の性格からしても、私は私がこうでよかったと思います。

<教育格差>
そもそもこの記事を書いたのは、同級生の一言からでした。彼は大学の近くにある、国内有数の大都市(私から見れば憧れの街!)で生まれ育ちました(多分彼にその自覚はないと思います)。
臨床実習の空き時間、我々はかつての受験勉強の話をしていました。「どこの塾に行っていたか」という話です。
私は塾に行っていなかったので、分かってはいたものの「塾に行っていた」ことがこれほどまでに当たり前なのかと驚きました。そのうえ、彼らには塾の「選択肢」があるのです。家の周りに何種類も塾があって、その中から自分に合ったものを選び、時には複数の塾を掛け持ちしていました。驚いたのは、皆その上かなりの進学校に行っているということ。当たり前のように中高一貫校で、進度も速く授業も勉強もこなしてきたのに、それに塾まで行っていたことです。私はもしその環境にあっても、そんなには勉強できなかったと思います。そんな凄い学校に行っておいてなぜ塾に行っていたのと聞いてみましたが、演習量を担保するためだそうです。
そして私は塾に行っていなかった、いや正確に言うと塾がなかったと答えたわけです。さらに正確に言えば、一つだけ予備校の通信支店(?)みたいなのがありますが、録画の映像講義を見るだけなので私は通いませんでした。
すると例の友人がこう言いました。
「そんなこと言っても、駿台ぐらいあるでしょ?」
私の地元にはそんなものはありませんでした。駿台河合塾も聞いたことはありましたが、見たことはありませんでした。ただ、駿台と河合の模試は受けることができるくらいの地域でした。でも駿台河合塾も県内には一つもありませんでした。通っている友人も、勿論一人もいません。
というわけで、この記事を書くことにしました。
私が気づいた、彼らの「王道コース」と私の地元の違いです。

・塾
初めから核心に迫りますが、予備校がないです。駿台河合塾もないです。地方の個人塾しかない。うちの地方から都会の学校を目指そうとすると、いつ何をすればいいのか、ライバルたる皆がどんな勉強をしているのかわかりません。学校の授業を地道に聞くのみです。

・塾の目的
うちの地域では、学校の授業についていけない人と、学校の進度が遅すぎて受験に間に合わない人が行くのが塾というものでした。学校の進度に合わせて勉強しているとレベルの高い受験には間に合いませんから、なんとか全国レベルに追いつくために塾(その、たった一つの支店!)に行くのだと思っていました。
ところが前述の通り、塾とは演習量を確保するために行くところだそうです。進度は学校で十分で、それに合わせて塾で演習をする。私は(進度は遅いながら)その演習を市販の問題集でこなしていたのだと思います。塾にそんな使い方があるなんて思ってもみなかった。

・学校がない
いわゆる進学校は、私の地元にはないと思います(うちの学校の先生方は進学校だと思っているようですが)。曲がりなりにも県下一位の高校に通いました。中高一貫ではなく、進度も以前の記事の通りなのですが、でも他に行くところはありませんでした。うちの県内でそこそこ頭がいい人は、そこしか行くところがないんです。実力が如何程であっても、全国何十位でしかない県下一位の高校に通うしかないんです。

・友人たちと進学先
学校がそんな具合ですから、進学先と言えば県内の国立大学が至高。旧帝大にも行く人はいますが、メインの層はそのあたりです。自称進学校ですから高校くらいになれば、勉強しているとからかわれるなんてことは幸いにもありませんが、そこを一緒に目指す人がいないというのは何とも心細い。
何よりレベル感が分からないのです。自分で言うのもおかしいですが、校内では(たぶん)誰もが認める成績1位を誇っていました。でも、模試は全部E判定。学校でいくらいい成績をとっても、受験の目安にはなりません。クラスも「東大クラス」なんかなくて、理系と文系があるくらい。
高校で20位だったらここの大学を目指せるとか、そんな話が初めは信じられませんでした。私が今いる大学は、各学年の1位の中でも選ばれし人が受けるところだったから。
つまり、どのくらい勉強すれば、もしくはどのくらい賢くなれば受かるのか、というのがさっぱりわかりません。目安がない状況でしがみつこうとするのは、精神的に辛いものがあります。
これはきっと、高校のレベルに見合わない高いレベルの大学に行こうと頑張る人は皆ぶつかる壁でしょう。しかし、もっと根の深い問題だと感じるのは、県下一の学校にいてそうだということです。つまりうちの県で生まれた人は、越境しない限りみんなこの環境だということです。
塾に行かないと、ひいては特定の数社の予備校に通わないと行けないような大学が存在するということは、経済格差だけでなく、地域格差を産んでいます。

・それでもなお、彼らは凄い
それでもなお彼らは凄い。私はそう言いたい。
この文脈で話が進む時、地方から1人頑張った私は偉くて美談であり、王道コースを辿った彼らは「エリートコースの敷かれたレールを行く、自分の意思のない無個性な子供たち」だとされるのです。私はそれにも断固として反対したい。綺麗事みたいだけれど、皆それぞれの場所で頑張っているのに。
私の場合、自分の正確な立ち位置が分からなかったがゆえ、自分自身の知識と、そして問題集とひたすら対峙してきました。それを彼らは、幼稚園の時から、もしくはその前からずっと競争をくぐり抜けてきた。小学生のころ名門中学の過去問など解けるはずもなかった私は彼らを本当に尊敬するし、彼らのしてきたことは全く卑下されるべきものではありません。争い続け、勝ち残り続けることが王道ルートなら、それはまさしく王になるための道ではあらんか。


<情報量の差>
東京の人口というのは日本のたった1/10でしかなく、例えば左利きの人やAB型の人よりも少ないはずですが、それでも東京の人は圧倒的マジョリティです。もちろん、東京に直ぐに出られる関東周辺の人々も含めれば人数は多くなるでしょうが。
たとえばテレビ。全国区のテレビ放送を見ていて、東京のお店が紹介される割合が1/10かというと絶対にそうではないでしょう。連日東京の素敵なお店たちが紹介され、朝のニュースで申し訳程度に地方のニュースを2分くらい流す。
ちなみに、この「地方」という言葉にも驚きました。だって東京の人は、大阪や名古屋や神戸のことを地方と言うんです。「地方」はある程度の田舎のことを指すと思っていたので、名古屋を地方というなぞ、なんて傲慢なんだと私は憤ったものでした。今は分かります、東京の人達は東京以外のことを地方と呼ぶのだと。
だから私たち、本当の地方民が思う東京への憤りは、関西の大都市におけるそれとは少し違います。「かっこつけやがって、しゃらくさい」という気持ちは毛頭ありません。「東京は冷たい」とかも思いません。もっと別の、恨みつらみ僻み……(笑)
ただ、楽しめてないなあ、と思うんです。雑誌の特集も、テレビのニュースも街ブラも、歌詞やラジオの地名も。東京とは天気も違う。地下鉄や自動改札が私には想像できない。東京の地名を聞いても、イメージがわかないーーー渋谷は若者の街、銀座は高級な街、それ以外は何も知らなくて、北千住というのはよく聞くので皆の憧れの街だと思っていたんです。「新宿は豪雨」の情感も、「文化祭で儲かる東急ハンズ」の面白さも、私の届かないところに向けて発されている。公演やコンサートが都会でしか行われないことだけでない、もっと切ない文化的な格差がそこにあります。
例えば私の好きなラジオでデニーズの話をしていましたが、私はデニーズを見たことがありませんでした。それを自己中心的だとは思わないけれど、だけど、東京にいたらもっと楽しいのかなあと、典型的な憧れを抱きました。ちょっと悔しくて、寂しくて、羨ましくて、少し嫌いになってしまうんです。ーーー「北から目線」の奥にある、少し歪んだ視線の話。

宗教を作ろう① 概要を考えよう

宗教を作ろう。

長年の夢を叶えるのだ。

宗教を作りたい

正確には、教祖になりたい。つまり信者を作りたい。名前は何でも良いが、実質的に宗教みたいなものを作りたい。宗教法人かどうかとかは至極どうでもいい。教祖になるのが、中学の時からの夢なのだ。

ということで、この際神の存在や超科学的なことの有無は問わない。誰か、私の思想に付いて来てくれる人がいればいいのだ。まあイメージとしては、自己啓発セミナー的なものになるだろう。別に自己啓発セミナーが宗教だと言っているわけではないぞ。

教義を作ろう

多分なにか核となる概念が必要だろう。ここで私は「メタ」をテーマに掲げる。

現代においてインチキせずに信者を集めるには、それなりに実生活に役立つことと、科学にも基づいていることとが必要になろう。別に科学が宗教だと言っているわけではないぞ。みんなの生活の困りごとを現代知識で解決しようということだ。抽象的な悩みを解決する方法というのは得てして複数あって、どれを重視するかの問題である。たとえば職場の人間関係で悩んでいるとしたら、「自分の心を第一に考えて、仕事をやめてしまおう」とか「全てポジティブに受け止めよう」とか「他人に優しくしよう」とか「これは神様の与えた試練だ」とか如何様にも捉え、解決(しようと)できるものであって、その人がどの側面を気に入り選択するか、もしくはどの側面を選択した人を信ずるかの問題に結局は帰着するだろう。

私が選ぶ側面が「メタ」だということだ。これは以前に街で宗教の勧誘の方々を見かけ、もしも話しかけられたらどんな自分なりの宗教で言い返そうかと思いを巡らせていたときに考えついたものである。

よく考えるとこちら、なかなかよくできている。メタ認知、という言葉自体は意識の高い人々の間でそこそこ人口に膾炙しており、しかし直接的、爆発的利益をもたらすというたぐいのものでもない。それでいてなかなか自己啓発的な面もあるし、メタバースメタマテリアルなどなど、メタという言葉のくっついた科学用語を繋げて語ればそれっぽくなりそうだ。形而上学、と言い換えれば、さらに「こういうの好きな人多いでしょ」である。

既存の宗教と差をつけよう

「新規性」というのは商品開発においても、アカデミックな研究においても大切であろう。私のメタ教(名前は後々考える。このままだと元Facebookの信奉者のようだからである)にも新規性を付与して進ぜよう。

メタとは「上の、高次の」という意味であり、メタ認知とは高次の目線から自分を見ること、要するに客観的に見ることだと解釈して概ね間違いないだろう。細かい内容・拘りは次回以降に譲るとして、宗教という体でメタをみると、かねてより「神」がメタだったとされる。かのデカルトも、有限たる我々の上位存在として無限たる神があるとして神の存在証明をした(どうせみんなこういうのも好きでしょ)。しかし実際、有限ではあれど、ここ数百年我々人類は「メタ認知」をしたがっている。いまこそ、我々が神になるべきではないかーーーというのは言い過ぎだけれど、我々は自分自身の上位存在、観察者になる時が来たのではないか。

 

続く

お医者さんになりたくないーー当事者の当事者性

今すごくお医者さんになりたくない。

医師という仕事には就きたい。医師のマインドになりたくない。お医者さんになりたくて、なりたくない。

 

私の中の偏った医師像

当事者研究の本、という括りではないのだろうけれど、「当事者」によって書かれた本を立て続けに何冊か読んだ。

医療、中でも意思決定に興味を持ち、幸運なことに、パターナリズムをはじめとした従来の医療に問題意識を抱くさまざまな先生方に出会うことができた。患者さんと共にあゆみ、同じ方を見て、なんとか生きやすくできるように考える、そんな先生方に複数出会い、コロナ禍の中でも診療の現場を見る機会を与えていただき、ロールモデルにすることを決めた。時にはそのような素敵な診療をされている先生に連絡を取り、出向いて、見学をさせてもらった。

私の中の医師像が、良い方に偏るわけだ。

そういう先生方は皆、「そうではない」ーー素敵ではない医療(あえてこう呼んでみることにする)に危機感や問題意識を持ち、年月をかけ、今の立場を得て、素敵な医療にたどり着いているのに、私はその出来上がったところだけ味見して、「皆さん素晴らしい先生だ」と思っているわけだ。

そして、(私の思う)あんまり素敵じゃない医療に出会った「当事者」たちが批判する素敵じゃない医療たちを見ても、私の出会った素敵な先生方ばかりが浮かんで、やるせない気持ちになるのだ。みんな頑張ってるのにどうして伝わらないんだろう、と。別にみんながその方向で頑張っている訳ではないのに。

 

失いたくない

同時に、立派な医学生になってしまった今、まだ少しだけ残った「お医者さんじゃない」という肩書きをもうすぐ失ってしまうのが怖いのだ。

医学生は医学知識も経験も何もかもが足りない分、ほとんど「お医者さんじゃない」ーー「患者さんに寄り添える」ということだけを存在意義にして病院に居る。と私は思う。私は臨床実習の間中自分の異物感が拭えず、医者でもないのにどうしてここにいるんだろうと思い続け、そして「医師じゃない者」としてのコミュニケーションだけを頼りに病院に存在してしまった。もうすぐ私は「医師じゃない者」じゃなくなる。医者じゃない者じゃない私は、何者になるんだろう。

 

決めつけてはいけない

医師も患者も、互いのことを決めつけすぎなのかもしれない。いや、人類皆そうなのかもしれない。コミュニケーションエラー、いろいろな齟齬が決めつけから生まれているのかも。

そして前述のような先生ばかり見てきたし、患者としても大した病気はしてこなかったせいで、医師という権力が持つ暴力性はあまり目の当たりにしてこなかった。

その権力勾配のせいで、医師が患者を決めつけることの方がずっと危険なことかもしれないのに、私にはまだその実感がない。

と共に、「現場」のレベルでなく「出版物」でしか患者の決めつけに触れられない、いち医学生である私は、「出版物」の権力性、暴力性にあてられてしまう。自己防衛のような義憤のような、変な気持ち。

 

当事者の当事者性

つまり私は、患者にとっての自分が「あっち側」の人になってしまうのが怖いのだ。いくら時間をかけて、いくら「それはお辛いですね」と言ったとしても、いつの日かそれは「あっち側」からの労りになってしまう。

医学生が「こっち側」だったかは置いておいてーー。医師は何の当事者にもなれない(医学生もだけれど)。そのことが私には負い目に思われる。誰も本当の意味で共感することはできない。それこそが当事者研究や自助組織の意義であり、医師はその点で凄く無力だ。そこを批判されると本当に、ごめんなさい、としか言えない。

表面的な知識しか知らないーー純文学の冒頭しか知らず一切読んだことはないクイズ屋みたいなーー医師の存在意義って何なんだろうか。医師法を超えたところで患者を支えられる医師に私はなれるだろうか。ーー理想論のレイヤーにおいてさえ、「わかること」はどこまで医師の仕事に含まれるだろうか?

こういうどうにもならない気持ちが、反対に「当事者」への釈然としない感覚につながってしまうのかもしれない。医師は医師で何処か疎外されている。

 

当事者としてしか

ここで少し話を広げて、病院の外に目を向けてみると、あちらこちらに「当事者」はいる。マイノリティ、差別、といった文脈で特に当事者は存在する。

近年(Twitterで)よく見るのは、いろいろな会議のメンバーや議員や管理職の男女比をもってして、「女性がいない」と問題提起される事態だ。

クォーター制度の是非は他に譲るとして、「当事者」論から行けば、当事者としてしか声を上げられない構造こそが問題であると今の私は考える。

その「当事者」たちーー時には私自身もそこに含まれるのだーーは、歴史的文化的に声を抑圧されてきた現実があり、今ようやく当事者として声を上げることができるようになってきた。反対に、当事者という枠組みの中、当事者という肩書きの元でしか声を聞いてもらえない時がないだろうか。

ある集団に女性がいない時、男女差別の被差別者の当事者としての女性がそこに求められている。本当の意味で望ましい平等はもっと先にあると私は思う。

私が(仮初の)当事者性の喪失を恐れているのはその辺りの構造に由来しているのだ。

 

ーー以上、問いばかりで答えの見えない雑記になってしまった。最近はこんなことを考えています。

独学で旧帝大医学部に逆転現役合格した受験勉強を紹介!

運営メンバーには旧帝大の医学部医学科に現役合格した者がいます。今回はなるべく受験勉強一般に通じるようなノウハウを紹介していきます。

全部読む時間がないという人は、「間違い直しを続ければいずれ満点になる」と「自己分析」の部分だけでも目を通してもらえると、言いたいことが伝わるのではないかと思います。

 

この記事について

記事を書いたきっかけ

受験勉強は大学受験を志す誰もが悩むものですが、一方で大学に入学してしまうと、それを乗り越えた人しか集まっていないわけですから、自分が如何に頑張ったかを話すのは時としてナンセンスです。

ですが、最近自分の受験勉強を整理して後輩たちに伝える機会があり、こんな体験談でも価値があるかもしれないと思ったので、固有名詞は伏せつつも私の受験勉強のエッセンスをまとめました。

高校生の時の私は、「勉強法ブログを読む暇があったら勉強したほうがマシだ」と思いながらも、結構ダラダラ勉強法ブログだとかノートテイクのコツだとかを調べていました。そんなみなさんにもなるべく有益な情報を発信できたらと思います。

ほぼ独学で合格

巷に受験ブログや合格体験記は様々ありますが、特に医学部ともなれば合格体験記の多くは予備校のものです。

私の場合は出身が田舎だったため大した予備校もなく、進度の速い中高一貫校に通っていたわけでもありませんでした。そして、医学部を目指すにも関わらず得意科目が英語と国語という始末。センター試験の直前にセンターの範囲を習い終えるようなギリギリの高校生活の中で、模試ではE判定を出し続けながらも、塾に行かずに独学で旧帝大の医学部に合格した秘訣をお伝えしていきます。

同じように地方や独学で頑張っている方たちの少しでも助けになれれば嬉しいです。

 

体験談:私の学習進度

高校2年生まで

高校の授業の予習復習やテスト勉強が主で、過去問を解くといったいわゆる受験勉強はほとんどしていませんでした。数学のみ学校の進度が少し早く、2年生が終わるまでに数Ⅲを終わらせることができました。
3年生になる春休みに、その年のセンター試験と、志望していた大学の二次試験を、どちらも理科以外の科目だけ解きました。物理化学の選択でしたが、どちらの教科も全く学校の進度が追いついておらず、見ても意味がないと思ったためです。

センター試験まで

基本的には学校の進度に合わせながら、基礎的な問題集をなるべく完璧にするよう心がけました。得意科目の得意分野のみ赤本をチラ見したりしたことがありますが、本格的に解くことはなく、分厚い赤本はモチベ兼勉強机の飾りに。夏と秋の各大学模試は、旧帝大のうち3大学で志望を決めかねていたため、駿台河合塾どちらも受けていました。

センター試験から二次試験まで

センター試験の自己採点をし、1週間ほど悩みに悩んで志望校を決定しました。そこから本格的に二次試験の対策を開始。といっても残された時間は1ヶ月強しかありません。幸いその期間に学校の授業はなかったので、家にこもってラストスパートを追い上げる日々が続きました。二次試験の対策は、赤本全科目6年分を解き、うち3年分はZ会の通信過去問添削サービスを利用して添削してもらいました。苦手分野については赤本(25ヵ年など)で少し掘り下げたりしましたが、あくまで数十問程度でした。

注意事項

私の場合は運良くこの勉強で現役合格をつかむことができましたが、旧帝大の医学部を目指すにしてはかなり進度が遅いことは間違いないです。入学後、友人たちに受験勉強について尋ねたところ、「中高一貫校のため高校の学習範囲まで中学で終わっていた」という人や、「有名予備校・塾に通っていた」という人がほとんどでした。

自力で頑張っても合格できるんだよ、と、私と同じような環境の人に希望を与えたいという気持ちもありますが、一方でこの例はかなり上手くいった例だということもぜひ覚えておいてください。

受験勉強を通じてわかったこと

ここからは、受験勉強のコツや受験勉強について得たノウハウなどを5つの項目に分けて共有していきます。

間違い直しを続ければいずれ満点になる

まずはこちら。私の受験勉強における最大の学びで、最大のモットーなので、最初に紹介します。

受験というのは、ある程度「目標点数」はあれど最終的には相対評価です。実は高校3年生の夏休みに短期間だけ都会の予備校に行き授業や試験を受ける機会があったのですが、田舎のお山の大将はそこでひっくり返りそうになりました。周りには自分でも知っているような名だたる高校の生徒が座っており、私が解説すら理解できない問題をどんどん解いている。「◯◯大に行く」と豪語していた井の中の蛙は、この人達と戦うのかと打ちひしがれておりました。相対評価を意識しすぎると、そういう思いをすることになります。

この気持ちはモチベーション維持に非常に大切です。しかし、学校の進度や環境といった埋めようのない差を前にして更に相対評価という事実を突きつけられると、諦めたくなってしまうのも事実です。

しかし大切なのは、高校の学習範囲以上のことはどの大学でも出題されないということです。高校の学習範囲は文科省が定めており有限ですから、勿論周りも成長していきますが、自分が入試の難易度に近づいていくことは可能です。

そして理想的には、高校の学習範囲をマスターし、入試の範囲で解けない問題がなくなれば、周りがどうであっても怖がることはありません

つまり、「間違えた問題を復習し次は解けるようにする」、これを十分な回数繰り返せば、解けない問題はなく、恐れることもないのです。

もちろん限られた時間の中でそんなことは不可能ですが、モチベーションとしてはその心持ちが大切だと思います。

具体的に何をしていたかというと、とにかく「自己分析」です。詳しくは1つ下の項目で述べていきます。

自己分析

間違えた問題について「何が正解だったのか」を知るのが間違い直しですが、私はこれにあと2つ付け足していました。それが「なぜ正解できなかったのか」と「どうすれば次に正解できるのか」です。当然のように聞こえますが、実はこれを具体的に言語化している人はなかなかいません。

例えば数学の問題を例に取ってみましょう。「何が正解だったのか」を知るには模範解答を読んで理解すればOKです。大体、この段階で「あ~この解法は思いつかなかったな」とか「計算ミスしちゃったわ~」とか思って、なんとなく「反省した気分」になってしまいます。厳しいようですが、そんなことを思っているだけでは一切成長しません。次に繋がりません。思い出しましょう。「出題される範囲は有限」であり、「一度間違えた問題を次に正解できるようになれば、理論上すべての問題が解ける」ようになります。

そこで、まず「なぜ正解できなかったのか」を考えます。例えば「解法が思いつかなかった」のなら、なぜ思いつかなかったのかを考えるのです。すると「このような問題パターンでどのような手札が使えるのかを整理していなかった」だとか、「座標の問題とばかり思っていたら実は図形の問題だった」とか、より具体的な反省点が見えてきます。

それらに対して、「どうすれば次に正解できるのか」を一つ一つ考えていきます。「手札を整理しておこう」「問題文が座標だからといって惑わされないようにしよう。そのためには自分で図を書いてみよう」といった、次から解けるようになるための方法を積み重ねることができるはずです。

単なる「計算ミス」ひとつでも私はそうしていました。なぜ計算ミスをしてしまったのか、次から例えばどのような計算用紙の使い方をすればミスが減らせるのか、などを逐一考えていくのです。

基礎と応用

初めに私自身の受験勉強の進度をまとめて書きましたが、あれは私が何者か、どうしてこのブログに読む価値があるのかを示す自己紹介のようなもので、何の目安にもなりません。限られた期間しかできない受験勉強の中で大切なのは、「自分のレベルに合った問題を解く」ということです。

自分のレベル以下の問題を解いても、慣れはするでしょうが成長に繋がりません。そして自分のレベル以上の問題を解いたとしても、本当に必要な学ぶべきことに集中することができず、労力の割に、1問から得られる情報量が少なくなってしまいます。

ここで大切だと思うのが、「基礎」と「応用」の考え方です。

問題集の中でも「基礎問題」「応用問題」と銘打ってある問題を見ればわかるかもしれませんが、私は基礎/応用は難易度と関係がないと思っています。難しい基礎問題もあれば、さほど難しくない応用問題もあるかもしれません。基礎問題とは知識やスキルが要求される問題で、応用問題とは基礎を組み合わせた複雑な状況設定の問題だと私は考えています。

例えば非常に難しい関数の積分をせよという問題があったとすれば、それは基礎問題ですが難易度が高いと言えるでしょう。対して、さほど難しくない状況であっても、日常生活と絡められていたり、複素数と確率の問題が組み合わさっていたりしたら、応用問題と考えるべきでしょう。

なぜ基礎と応用を分けるかというと、それぞれ復習すべき点が異なり、何より自分にあった時期に取り組むべきものだからです。

基礎問題を間違えてしまった場合、復習すべきは「習得しておくべきだった知識やスキルを学び直す」ことになります。一方で、基礎が十分できているにも関わらず応用問題が解けないということになると、復習すべきは「状況把握能力」「問題を読み解く力」「問題に合わせて自分の手札を使いこなす力」といったものになるでしょう。

もちろん、基礎ができていない状態で応用問題に取り組むとすれば「知識」と「状況把握能力」がどちらも足りないな、と理解し、どちらも向上する必要があります。

しかし基礎ができない状態では解けない問題も多く、間違えた理由が複雑になればなるほどそれを分析するにも時間がかかります。時間をかけた割には得たものが少なかったな、ということになりかねません。

各科目各分野について、基礎ができているかをしっかり見直し、基礎ができているならそこで燻っていないで応用問題に取り組む、応用問題を解いていたが基礎ができていないと分かったのなら躊躇せず基礎に戻る、という繰り返しにより受験勉強を効率良く進めることができます。

ここからは主観的な話になりますが、レベルが合っているかの一つの指標が「楽しいか」どうかだと思います。解いていて全く面白くなければ、その問題は簡単すぎるか、難しすぎるのではないでしょうか。

模試の活かし方

私の場合、模試は散々でした。

夏模試の数学は全範囲勉強し終えていたにも関わらず点数は1割程度。化学などは無機化学が始まったばかり、有機化学は1秒たりとも勉強したことがなく、記号問題もあったのにどちらも0点だったのを思い出します。駿台河合塾の模試を受けましたが、どちらも最低判定。晴れて入学後、成績優秀者に載っていた人がたくさん同級生にいたので仰天しました。

というわけで、学校の進度からどうしても模試に間に合わないという人は......

仕方ないです。

どうしようもないです。付け焼き刃で軽く教科書を読んでも良いかもしれませんが、ある程度模試に対応できるまで勉強しようとすれば、自分の勉強のペースを崩すことにもなります。

私が結局どうしたかというと、夏模試の復習をしっかりやりました。夏模試だけで5つくらいは受けていて、模試1つあたり丸2日程度かけて復習していたため、模試の復習だけで夏が終わりそうでした。ちょっぴり不安でした。

夏休みが終わり、秋模試も4つほど受けました。実はここでかなり数学が伸び、7割まで点数が取れるようになりました。これは確実に、夏模試の自己分析を臆さず行った成果でした。

ただ、物理化学は凄惨たる結果。判定は最低のまま、河合塾はD、駿台はE。夢も希望もなく、「学校の進度が......」と言い訳をするばかりでした。

実際、単なる言い訳ということでもなく、進度は確実に追いついていませんでした。対して旧帝の医学部で合格判定を見るようなライバルたちは中高一貫校や予備校で一通りの勉強を終えている人が多く、秋模試の段階でまだ有機化学をやったことのない人が混じったとしても、本当に正確な判定ができるかは疑問です。

ただそれに甘んじて「まあ受験当日は大丈夫だろう」と思っても何の意味もありません。

大切なのは2つです。

  • 学校の進度による支障があれば、模試の判定だけを根拠に志望校を決めない
  • 自分の実力としっかり相談して受験校を決める

模試が参考にならなくても、実力アップに寄与すれば大いに意味があります。しかし学校の進度を言い訳にして楽観的になるのではなく、最終的には自分の立ち位置をしっかり鑑みて受験校を決めるべきです。

例えば私の場合、物理の実力に最後まで不安が残りました。結局、センター試験で十分な点数を取ることができ、基礎はできているなと思ったため、E判定だった大学を受験することに決めました。

モチベーション

最後に、これから長い受験勉強をくぐり抜けるみなさんへ、モチベーションの維持について私が学んだことをお伝えします。

それは、日々の生活からモチベーションを見つけては消費していくことです。

皆さんには大きな夢があるかもしれません。憧れのあの大学に入りたい。あの先輩の後を追いたい。人を助ける仕事がしたい。いい仕事につきたい。だから、受験勉強をするんだ!と。

それに対して、日々の生活では小さな誘惑が顔を出します。今日は疲れたな。今日はテストだったからいいか。新作のゲームが出た。だから、ちょっとくらい勉強しなくてもいいかな。

大きな原動力になる経験は、そう頻繁にあるものではありません。オープンキャンパスに行ったり、模試で打ちのめされたりするのは大きなモチベーションになるでしょう。そして受験勉強というのは、その夢とモチベーションが、日々の誘惑で少しずつ蝕まれている状態です。夢だけでは何年も乗り切れないのです。

そのため、「今日一日のモチベ」を見つけて、毎日の誘惑に勝っていくことが重要になります。

例えば、学校の試験の結果が返ってきた。テレビで志望校が映っていた。学校で先生が喝を入れてきた。今日の授業で、自分が知らなかったことを友達が知っていた、悔しい。

そういう細々としたモチベーションを「モチベーションだ」と自分に言い聞かせ、その日のゲームや怠け心に打ち勝つ材料にする。何とか今日一日だけ食いつないで、明日はまた明日のモチベーションを探します。

私はこうやって、有限の受験勉強を乗り切りました。

 

まとめ

まとめると、私が受験勉強で学んだコツは以下の通りです。

  • 間違い直しを続ければいずれ満点になる
  • 「何が正解だったのか」に加え「なぜ正解できなかったのか」と「どうすれば次に正解できるのか」を具体的に言語化する
  • 焦らず、燻ぶらず、自分のレベルに合った問題を解く
  • 日々の生活の中からモチベーションを見つける

以上のことが、今まさに頑張っている皆さんの力になっていれば嬉しいです。そして着々と医師国家試験が近づく自分自身もまた鼓舞したいと思います。

TOEFL 私のWriting対策

TOEFL受験の概要については下の記事にまとめてありますので、そちらをご参照ください。

 

kotoba-chz.hatenablog.com

 

この記事では、Writing対策について別途まとめます。

 

 

結果

Writingは30点中25点でした。正直、もう少し低いと思っていたので驚きました。

ちなみに文字数ですが、2問ともそんなに大量に書いたりはしていません。難しい単語も全然使えませんでしたが、筋が通った意見は書けていたと思います。

私の勉強法

使った教材は以下のとおりですが、手近な図書館にあったものを借りたので、新形式に対応していない物が多かったです。

  • TOEFLテストライティング問題100(旺文社)
  • 各種模試

実はあまりWritingに特化した対策はしませんでした。せいぜい、模試を解いて添削してもらい、自分のしやすいミスを発見する、といったところ。題材は何が出るかわからないし、特定の語彙を増やしてもどうしようもないと思いました。

上に挙げた教材も、Independent Taskについて「へえ、こんな問題が出るのか」というのを確認し、英文は書かずに自分の意見だけ考えてみて理由が思いつくかどうかを試しただけでした。

解いた模試については始めはオンライン英会話の先生に見てもらっていましたが、先生に「ChatGPTが添削してくれるよ」と教えてもらいました。英会話の先生がそんなことを勧めていては元も子もないだろうと思いながらも、流行っているし面白そうだったので登録。添削してもらいました。

英語でも日本でもいいので、TOEFLの勉強をしているから添削してくれといえば添削してくれます。文法ミスでも、内容でも、より良い言い方でも、頼み方は自由自在です。採点基準をコピペして頼んだら点数もつけてくれました。

ChatGPTを使い始めてからは結局、オンライン英会話はSpeaking中心にして、Writingの添削はAIにお願いしました。

 

テンプレートを使うべきか

巷には「テンプレート」と呼ばれるものがあることも、勉強している半ばで知りました。頑張って覚えるほどのものではないと思いますが、いくつか書いていくうちに自分なりのものが出来上がると思います。

まずIndependent taskについては、私の得点を見るに、テンプレート云々よりも筋の通った、一貫性のある意見を書くことが大切だと思いました。

そしてIntegrated Writingのほうでは、「パッセージにはこう書いてあるが、リスニングパートはこう言っている。」という文を3-4回書かねばならないので、そのバリエーションはいくつか身に着けておいたら良いでしょう。それをテンプレートと呼ぶならば、テンプレートは大切かもしれません。

私はなんとなく自分なりの書き方を構築し、「教授は~に反対意見を述べた。」の言い換えを4パターンほど用意しておきました。

初めはネットにあるテンプレや問題集のテンプレを参考にして混ぜ合わせながら、最終的に自分の書きやすいものにしていけたらいいのではないでしょうか。

TOEFL 私のSpeaking対策

TOEFL受験の概要については下の記事にまとめてありますので、そちらをご参照ください。

kotoba-chz.hatenablog.com

 

この記事では、特に難関であるSpeakingについて別途まとめます。

 

 

結果

Speakingは30点中22点でした。Speakingは非常に苦戦したので、100点突破の足を引っ張らなかったことにはホッとしましたが、正直、体感ではもう少し取れたような気がしていました。今となってはリスニングがうまく言ったかなどが証明できないので難しいですが、反省も交えながら書いていきます。

TOEFLのSpeakingは準備時間も与えられますし、リスニングパートをパラフレーズしながら繰り返すだけでいいので、慣れてしまえばIELTSや英検よりも簡単ではないかと私は思っています。本番でも、シンプルな文を積み重ね、聞いたことをより簡単にして伝えただけでした。

私の勉強法

使った教材は以下のとおりですが、手近な図書館にあったものを借りたので、新形式に対応していない物が多かったです。そういう場合は問1と5を飛ばせばだいたい新形式になります。

  • DMM英会話(プラスネイティブプラン)
  • まるわかりTOEFL iBTテストスピーキング(Jリサーチ出版)
  • 10日間集中 TOEFL iBTテスト スコアアップ大特訓 (アスク出版)
  • 毎日ミニ模試TOEFLテスト iBTスピーキング(テイエス企画)

まずオンライン英会話です。これは勉強開始時点で既に一年半くらい続けており、Daily Newsを中心に毎日25分ネイティブの先生と話していました。それを出版社教材のTOEFL対策に切り替え、毎日行いました。教材は40回分しかないので全部やりました。最初の10回くらいはとにかく形式に慣れることで手一杯でした。

自分の回答は毎回録音していたのですが、怖くて全然聞けませんでした。20回くらい数をこなしたころ、意を決して聞いてみたところ「全然成長していない......」と非常に落ち込みました。聞き取れているけれど全然アウトプットできていない。ぐだぐだな喋り。メモも効率が悪い。すぐ止まる。特殊な形式には慣れたけれど、気持ちが慣れただけ......。

とりあえず上記の参考書を手当たり次第図書館で借りてきて、怒涛のSpeaking対策がスタートしました。

以下に、私なりの工夫をまとめます。

全体を通じて

TOEFL受験概要を記した下の記事でも書きましたが、まずはTOEFL公式模試やYouTube上にあるSample Answerとその点数を見て、自分の目指すレベル感と比較するのがいいでしょう。私はこの段階がかなり遅くて、もっと早くにやっておけばよかったと思っています。

そこからも言えることですが、

  • マイナーミステイクは気にしない。

いくつかのマイナーミステイクがあっても意味が通じれば大丈夫とTOEFL公式も言っています。公式を信じずして何を信じるか。

英会話では、私は"a"と"the"、単数形と複数形を指摘されまくりました。正直心が折れそうでした。が、そんなもの、所詮はマイナーミステイク。それを気にして喋れないほうがもったいないです。(といっても、実践できるにはしばらくかかりましたが。)

  • 止まらない。最後まで喋る。

IELTS等と違って、TOEFLのSpeakingは厳密な時間制限が設けられています。

が、いろいろな方の体験記を見るに、どうやら話し終わらなくても特に問題ないようです。あまりにも無駄なことをペラペラと喋り続けたり、2つある例のうち1つしか触れられなかった場合などは減点になるかもしれませんが、数秒オーバーするレベルであれば問題ないようです。分かったことだけでも良いから喋り続けることは、わからなかったからとそこで止まってしまうよりもずいぶんマシです。

 

最後に本番です。日本で試験を受けるなら、周りがボソボソ喋っていたり、もしかすると自分よりも発音が悪かくたどたどしかったりすることもあるかもしれません。

が、甘んじてはいけません。自分の目指すレベルのために、この教室で自分が一番うまいぞという気持ちで喋りましょう。

 

シンプルに

何はともあれ、シンプルに。本番3日前くらいに見つけて、最も私の回答を改善させた法則です。

私の場合、大体は時間内に収まるのですが、絶対に収まらない場合というのがいくつかありました。例えば複雑な心理学の実験や仮想の例を想定している場合、教授の実体験がやや込み入っている場合などです。そういった場面想定は文法もややこしく、教授のセリフを丸暗記して真似しない限り凄く時間を取られてしまっていました。

そこで導入したのが「シンプルに」のポリシーです。『まるわかりTOEFL iBTテストスピーキング』(Jリサーチ出版)は、もしかすると自分よりも目標点数の低いかもしれない受験者に向けたサンプルアンサーを載せていたのですが、そのサンプルの簡潔さに私は圧倒されました。こんなにシンプルでいいのか、と気づいたのです。

 

具体的な問題を使って解説はできませんが、たとえばある実験についての問題が出たとします。私は、以前は以下のように話していました。

 

調査者らは、40歳くらいの人々を10人集め、こうするように指示し、何分間の観察をしました。被験者らは、このような思考に基づいて、こういう反応をしました......。

 

これでもネイティブスピーカーからすれば特に難しいことを言っているわけではなく、十分に要約ができています。が、私からするとどうにも言葉が出てこず、実験の説明に何十秒もかかってしまいました。例えば、40歳の人を10人ってどういう順番で言うの?あれ、この実験は過去のことだから、時制は何だ?would?あああもう10秒しか残ってないぎゃあああ.......となっていたわけです。

それを、その日からぶつ切りにすることにしました。たとえば、

 

ある実験が行われました。被験者は、10人でした。彼らは中年でした。調査者は彼らにこうするようにいいました。結果、被験者らはこうしました。なぜなら、こう考えたからです。

 

こんな感じです。ずいぶんシンプルになりました。これなら何とか言葉が出てきます。

メモの取り方とか準備時間の使い方とかを色々試行錯誤したのですが、結局は自分の実力に対し、難しいことを言おうとしすぎていたのでした。

ただ、もしかするとこの限界が22点なのかもしれません。複雑なことが言えるに越したことはないのでしょうが、何も言えないよりはマシといったところでしょうか。

 

Integrated Task:メモ

 

全体的なリスニング力についてはListeningの記事で書いています↓

 

ので、スピーキングに特化したリスニングのことを書いてみたいと思います。

まずは向こうの方と重複しますが、私はメモを取りすぎるほうだったので、メモを取りすぎないように気をつけました。

というのも、話の中身自体はListening Partよりも少なく、そのような短時間で忘れてしまうことはほとんどないのです。

......といいたいのですが、Listeningパートとはわけが違いました。

Listeningパートでは、問題が出され、それに答えます。基本的にはある命題(選択肢)が事実かどうかを判断することの繰り返しなので、忘れなければ解けます。

しかしSpeakingは違います。自分で思い出し、適切な順番で話さないといけないのです。

私もいくつか「テンプレート」と呼ばれるものを使いました。が、それらもあくまで"She gave two examples. Firstly, ... Secondly, ..."というフォーマットを提供してくれるだけで、話の内容は自分で覚えていなければいけないのです。流石にこれはメモなしではできません。

なんなら、私はありったけメモを取ったほうがスラスラ喋れました。単語は聞けるし分かるのですが、勉強が中途半端なせいで正しい使い方、前置詞やコロケーションがわからないのです。そういうときにリスニングできいたことをフレーズごとメモしておけば、それを繰り返せば良いだけです。

初めはそうやって解いていたのですが、やはりメモを取りすぎているとリスニングに集中できず、大事なことを聞き逃してばかりいました。

一方、数多の参考書が勧めるように略語・頭文字を乱用すると、何を書きたかったのか思い出せなかったり、無理にその単語を使おうとして文法ミスが増えたりしてしまいました。

こんなアドバイス元も子もないですが、問題の性質、そして自分の性格と相談して、いい塩梅を見つけるしかなさそうです。

何の塩梅かといいますと、

  • メモにかける時間――書き続けるか?リスニングの切れ目に書くか?
  • メモの取り方――略語か?頭文字か?単語か?フレーズか?文か?主語だけか?日本語か?

こんなところでしょうか。私の場合は、リスニング音声が速い場合はリスニングの切れ目に単語を数個書くようにしていました。遅い場合は考えながら聞く余裕が生まれるので、音声を聞きながら時々略語を用いてメモを取りました。そして主語を何にするか悩むと文が始められないので、準備時間には各文の主語動詞をどうするかシミュレーションし、必要があればメモに書き込んでおきました。

 

Independent Task

ここがネックだと言う人も多いと思います。私は基本的には、

I agree with/ prefer ~~ for 2 reasons.

To begin with, ~~

Secondly, ~~

という言い方をしていました。to begin withとsecondlyが対応関係にあるのかはわかりませんが......。

そして、練習の段階で何度も失敗したのが、これにこだわりすぎたことでした。

だいたいにおいて、質の低い理由が2つか、質の高い理由が1つ、思いつきます。

質の高い理由1つのあとに、無理やり質の低い理由1つを付け足して、2つにしようとしてしまったのです。

そういうときは素直に理由を一つに絞って、45秒かけて1つの理由について話せばよかったです。

参考になるかわかりませんが、

2つの場合:

I agree with/ prefer ~~ for 2 reasons.

To begin with, (理由を簡潔に述べる). +補足説明1文

Secondly, (理由を簡潔に述べる). +補足説明1文

For these reasons, I agree with/prefer ~.

 

1つの場合:

I agree with/ prefer ~~.

Because, (理由を簡潔に述べる).

+補足説明1文

+具体例1文

(+補足1文)

For this reason, I agree with/prefer ~.

 

これを言っていれば、45秒は過ぎると思います。

1、2問目: 大学についての知識

Speakingの1問目では、personal questionと題して大学のシステムなどについての意見が聞かれます。2問目では、大学からのアナウンス等について学生どうしの会話を聞きます。Listeningでも、大学のカウンセラーや教授と学生の会話が出題されます。

そういう問題のときに困った英語以外の壁が、文化の違い、大学システムの違いでした。わからないことがあったら適宜調べるのが良いでしょう。

特にSpeakingのTask1,2で困らないための、私が気づいた文化の違いを書いておきます。記憶で書き起こしているので、念のため裏取りしたほうが良いと思いますが......。

 

  • 入試、編入システム:アメリカの大学入試はテストだけでなく、共通テスト(SAT)の結果、ボランティア、面接など様々な要素で決まる。SATの結果を提出し、行きたい大学に応募すると、受け入れの可否が判断される。短大のようなところに行ってから大学に編入するのも珍しくない。
  • On/Off Campus:キャンパス内に寮がある。キャンパス内のことをOn-Campusといい、寮に住んでいる人はOn-Campusに住んでいると言う。寮ではなく学校の外で下宿している人たちをOff-Campusに済んでいると言う。アルバイトも、On-Campusで学校の施設で働く場合とOff-Campusで一般的なお店等でバイトする場合とがある。
  • Counseling/Adviser:スクールカウンセラー、事務の相談窓口などがしっかりしており、困ったことがあれば相談できる。教授にもオフィスアワーなどで気軽に会いに行き、進路の相談や成績の交渉をすることができる。

問題を解きながら私が気づいたのはこのような点です。なにかの参考になればと思います。